グーグル地図で「日本の寺・100選」を見てみよう
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1 北海道 高龍寺
2 青 森 最勝院、菩提寺
3 青 森 菩提寺
4 岩 手 黒石寺
5 宮 城 毛越寺
6 宮 城 瑞巌寺
7 秋 田 補陀寺
8 宮 城 蚶満寺
9 山形 立石寺
10 山 形 山寺
11 福 島 慈恩寺
12 福 島 恵隆寺
13 福 島 立木千手観音堂
14 福 島 勝常寺
15 栃 木 龍泉寺
16 栃 木 輪王寺
17 茨 城 薬王院
18 群 馬 西方寺
19 群 馬 水澤観世音
20 埼 玉 能仁寺
21 埼 玉 龍穏寺
22 千 葉 千葉寺
23 千 葉 新勝寺
24 千 葉 日本寺
25 東 京 増上寺
26 東 京 池上本門寺
27 東 京 塩船観音寺
28 東 京 深大寺
29 岐 阜 円徳寺
30 岐 阜 華厳寺
31 岐 阜 横蔵寺
32 静 岡 尊永寺
33 静 岡 油山寺
34 静 岡 願成就院
35 静 岡 降劒院
36 静 岡 真福寺
37 静 岡 八葉蓮台寺 寂光院
38 愛 知 犬山 寂光院
39 三 重 専修寺
40 三 重 金剛證寺
41 三 重 宝蔵寺・地蔵院
42 三 重 関地蔵院
43 京 都 三千院
44 京 都 教王護国寺
45 京 都 東寺
46 京 都 天龍寺
47 京 都 醍醐寺
48 京 都 地蔵院
49 大 阪 四天王寺
50 大 阪 神峯山寺
51 大 阪 観心寺
52 兵 庫 大龍寺
53 兵 庫 鶴林寺
54 奈 良 興福寺
55 奈 良 東大寺 大仏殿
56 奈 良 寳山寺
57 奈 良 室生寺
58 奈 良 金剛宝寺 護国院
59 和歌山 紀三井寺
60 和歌山 粉河寺
61 和歌山 金剛峯寺
62 和歌山 道成寺
63 烏 取 三佛寺
64 烏 取 大山寺
65 島 根 鰐淵寺
66 島 根 清水寺
67 岡 山 西大寺 観音院
68 広 島 浄土寺
69 広 島 千光寺
70 山 口 瑠璃光寺
71 山 口 東光寺
72 徳 島 丈六寺
73 徳 島 霊山寺
74 香 川 善通寺
75 香 川 大窪寺
76 香 川 大寶寺
77 愛 媛 興隆寺 西山興隆寺
78 高 知 竹林寺
79 高 知 金剛福寺
80 福 岡 鎮国寺
81 福 岡 観世音寺
82 福 岡 大興善寺
83 長 崎 興福寺
84 熊 本 本妙寺
85 大 分 羅漢寺
86 大 分 富貴寺
87 宮 崎 大光寺
88 鹿児島 感応寺
89 沖 縄 桃林寺
ここにドライブ経路が表示されます。

日本の寺・100選は、日本百選 都道府県別データベースから引用しました。

東大寺は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。 金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられた。

増上寺増上寺は空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。 その後、室町時代の明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めた。この聖聡が、実質上の開基といえる。 開基聖聡の弟子には、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏(そんげい)や、松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁(りょうぎょう)慶善がおり、また松平親忠の第四子で、浄土宗総本山知恩院25世の超誉存牛や、徳川将軍家菩提寺大樹寺開山の勢誉愚底(せいよぐてい)はいずれも聖聡の孫弟子であり、中世から松平氏や徳川氏とのつながりが深かった[1]。 中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。 風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。

近年寺社仏閣を訪れる女子が増えてきていますが、最近では御朱印帳を持って寺社を巡る「御朱印ガール」も増えてきているようです。テレビの散歩番組でも御朱印を頂いている場面も見かけます。

100選にないですが最近元号が変わり仁和寺は、代々天皇ゆかりお寺として参拝者が多いようです 。

仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。代々天皇ゆかりの方が明治まで住職をしたお寺として有名です。仁和寺は広く見るべき建物10棟ほどあります。
仁和寺の拝観料、高校生以下無料へ 京都の主要寺院で初。

世界遺産となった中尊寺

中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
その他の日本の世界遺産もご覧下さい。

中尊寺マップ表示

金閣寺は日本の世界遺産です

日本の世界遺産で確認してください
金閣寺は京都の世界遺産です。正式名称は鹿苑寺。平安京が誕生して1200年目である1994年の今日、「古都京都の文化財」は日本で5番目のユネスコ世界遺産(文化遺産)として登録されました。これらには京都府京都市、同じく宇治市、滋賀県大津市の2県3市にわたる合計17件が含まれます… 「古都京都の文化財」には、多くの国宝が含まれています。ちなみに、銀閣寺は国宝ですが、金閣寺は国宝ではありません。金閣寺は1950年の火災で全焼し、現在の建造物は、明治期の記録を元に1955年に再建されたものです。俗に"前の戦争"が応仁の乱という京都では、比較的「新しい」建物、というわけです。

長福寿寺クリックすると地上に表示されます

長福寿寺は、千葉県最大の開運パワースポットとして有名。特に"金運増大"に関しては、「日本一宝くじが当たる寺」として定評がある。山号は三途河頭 極楽東門 蓮華台上 阿弥陀坊 太平埜山 本実成院。これは日本一長い勅号である。

除夜の鐘?

除夜の鐘を108回鳴らすの意味は、.煩悩の数が108つだから、というのは有名です。なぜ108なのかについては諸説あります。 そのひとつをご説明します。 人間には眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六つの感覚があります。これを六根と言います。(山岳信仰で山を歩くとき「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながら登ります。これは、その六つの感覚をきれいにしましょう、という意味です) この六根には、それぞれ、好(気持ちがよい)悪(いやだ)平(何も感じない)の3種があり3×6=18。これが、また浄(きれい)染(きたない)の2種に分かれ18×2=36。さらに、前世・今世・来世の三世分で、36×3=108となります。京都知恩院「除夜の鐘」が有名と思いますが地方の小さな寺で聞くのも一考です。

御朱印とは?

お寺や神社で、御坊様、神職様、宮司様に依頼をして、御朱印帳という御朱印をいただくノートのようなものにお寺や神社の御宝印という判子、御本尊様の名前、参拝日、お寺や神社の名前を書いていただくことを総じて「御朱印」と呼ばれています。
*純白の奉書和紙に書かれた躍動的な墨文字と鮮やかな朱色の押し印で構成される御朱印帳。訪ねて、集めて、眺めて、「また行く旅のお供」として、様々な御朱印を集めて、自分オリジナルの御朱印帳を。

柴又帝釈天映画「男はつらいよ」の舞台、ご存知柴又帝釈天。柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)または、帝釈天 題経寺(たいしゃくてん だいきょうじ)は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院の通称である。正式名称は経栄山 題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)である。旧本山は大本山中山法華経寺(なかやま ほけきょうじ)。親師法縁。なお、「帝釈天」とは本来の意味では仏教の守護神である天部の一つを指すが、地元では、題経寺の略称として用られることも多い。 江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった。帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになった。
三仏寺投入堂三徳山三佛寺は天台宗修験道三徳山法流の寺である。鳥取県のほぼ中央、中国山脈の脊梁部北側に位置し、周囲は高い山々に囲まれ変化に富んだ渓谷美を見せる。断崖絶壁や大岩窟が入り乱れ四季折々の美しい景観を呈し、一帯は史跡名勝に指定されている。 「投入堂」の名は、慶雲3年(706)、三仏寺の開祖とされる役小角が蔵王権現などを祀った仏堂を、法力でもって平地から山に投げ入れたという伝承に由来する[1]。永和元年(1375年)紀の修理棟札の墨書中に「伯州三徳山之鎮守蔵王殿」という文言があり、「蔵王殿」が投入堂の本来の名称であったとみられる。平安後期(寛治7年(1093)とみられる)に三徳山(当時:美德山)の僧兵集団が伯耆大山寺の内紛に介入し、その報復として寺の子守・勝手・蔵王堂・本堂・講堂を完全に焼き払われたという記録が『伯耆大山寺縁起』(続群書類従 巻八百十五)にあり、このうち子守・勝手・蔵王は宝亀年間に寺に祀られた3神であった。 1904年2月18日に古社寺保存法に基づく国宝(旧国宝、現行法の「重要文化財」に相当)に指定され、1952年3月29日に文化財保護法に基づく国宝(新国宝)に指定された[4]。加えて、東側に接続して建つ小建物の愛染堂をはじめ、前述の永和元年の棟札1枚と、1915年の解体修理の際に再用されなかった古材43点が附(つけたり)に指定されている。
東福寺臨済宗大本山東福寺は、嘉禎二年(1236)に関白九條道家の発願により、藤原氏の氏寺として栄えていた法性寺内に伽藍を建立したことに始まる。東福寺の寺名は、東大寺・興福寺の奈良の二大寺から一字ずつ取ったもので、二十年近くの年月をかけ京都最大の大伽藍を造営し、開山に聖一国師(円爾弁円)を迎えた。その後相次ぐ火災のため、初期の伽藍の大部分を焼失するも、そのたびに見事な復興を遂げ、京都五山列せられるに相応しい名刹となった。勝林寺は東福寺の塔頭寺院の一つで、天文十九年(1550)に東福寺第二百五世住持であった「高岳令松」禅師によって、勝林庵として創建された。本山東福寺の鬼門(北方)に位置し仏法と北方を守護するところから、「東福寺の毘沙門天」と呼ばれている。
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